創價繁育學曾について

昨夜、大正生まれの壮年の方を家庭訪問しました。
大阪で昭和31年入信し、戸田先生の中之島公会堂での月一回の御書講義には欠かさず参加していたそうです。
御書は当時としては2000円は高価で、持っている人も少なく、月掛けで200円づつの貯金をしていましたが、(組織でしていたようですがどんな単位かは不明)
(住所は東住吉区、現在は平野区の地域ですが八尾支部だったそうです)
それが千円になったとき、「あとは戸田先生が出してくれて」御書が買えたそうです。
今もその御書を持っているそうです。
戸田先生の関西の同志へのプレゼントだったのでしょうか?

創價繁育學曾について

熊谷一乗『牧口常三郎 −人と思想』を読んでいます。
思い出したのですが、20年ほど前、聖教新聞の「サンデー対談」で明治大学ラグビー部監督(当時)の北島氏が出席し牧口先生の
思い出を語りました。「靖国神社に行っちゃいかん!」と言われた
とのことですが、つまりは折伏されたということでしょうか。
牧口先生の信念は偉大ですが、逮捕されたのも同志には「ああやっぱり」
でなかったでしょうか。
宗門との会見の直後、捕縛されたのも「売られた」、つまり宗門側が官憲に
「手に負えませんから好きにしてください」と通告した疑いが濃厚です。
ところで上記の本ですが巻末の「創價繁育學曾規約要項」第3章「組織」第7條
「本曾は左記三種の曾員を以て組織す
一、正曾員(日蓮正宗の信徒にして、一ヶ年に二名以上の折伏教化をなし、本曾の事業に努力する者)
二、準会員(日蓮正宗の信徒にして、一ヶ年に二名の折伏教化が出来ない者)
三、特別曾員(國家の指導階級に居る者にして、本曾の事業に精神的・物質的に特別なる協力をなす者にして、曾長の推薦に依り決定す)」
(昭和一六年八月二十日『価値創造』第二号)
という会員規定はいかにも厳しいようですが、
正会員は何名ぐらい居たのでしょう?

(04/09/03/07:54:08)
永住外国人参政権」についてはわたしも無筋の話と思うのですが、
「共和国」との交渉の糸口になるかもしれません。すなわち韓国との交渉に「共和国カード」がありうるということも考えられなくはないです。
ここに内藤武宣『近くて遠い国』(’72、東京書店)という本があります。
公明党訪朝団(竹入委員長が代表)(ソ連経由)の様子が書かれているのですが、巻末の参考資料に「朝鮮民主主義人民共和国憲法」とか
’48の第三回国連総会決議とかが載っていますが、
ふしぎにも’72年5月6日まとまったと書いてあって、
肝心の本文がありません。
7月4日「南北共同声明」と内容がそぐわなくなったためでしょうか。外交の世界は表から見えないことがあるようです。

(04/09/03/07:25:48)
真の教養とは牧口先生のように、権力に敢然と立ち向かうことでしょう。
「呵責し駆遣し挙処せば我が弟子真の声聞なり」(立正安国論


今日の「新・人間革命」に池田先生の三つの後悔
のうち二つが書かれてています。
もうひとつは「もっと本を読んでおきたかった」ではなかったでしょうか。しかし、
  「教養はなくても宗教革命はできる」と
学会員は100人が100人言うと思います。
(04/09/03/07:16:26)

韓国の核開発はもちろん「北朝鮮」の脅威を恐れてのことでしょうが、そういえば「北朝鮮」は差別語ですので朝鮮共和国とか言うべきなのでしょうか。
もちろん、シナリオとして真珠湾のように「先制攻撃」することを米国は望んでいる。

イランが核兵器を開発しようといているとしたら、
それはアメリカの掣肘を離れたイラクが開発するのを
恐れてのことでしょう。
「米軍がイラクに居なくなれば平和」とは言えないはずです。
大量破壊兵器が見つからない」といっても、1%でも可能性があったのなら侵攻する意味はあったともいえます。核兵器を持たれてからでは「対等の交渉」つまり「あんたはあんた、
わたしのことはほっといて」といわれると何もできないという関係になってしまいますから。

(04/09/03/03:39:23)
華氏911』に暴かれた
ビンラディンとブッシュの親愛などはスキャンダリズムというもので
いずれにしても「テロリズムに有効な対策はないか」
核兵器をテロリストに渡したらどうなるか」という難問に答えることはできません。
いや、見てないですけど、回答があるとは思えない。

(04/09/03/03:36:01)

本当は’92年にフセインを打倒する方がよかったのでしょうが、
いずれにしても米国にとって全面戦争ではありません。
「限定戦争のやっかいなことは世論を分裂させ、ジャーナリズムのセンチメンタリズムが幅を利かすことである」と三島由紀夫の「建白書」にはあります。
わたしとて「平和」を求めるのならアフリカに自衛隊を送らないのは何故か問いたい。
その答えはおそらく「日本は自分で判断ができない幼児であるから」ということでしょうが。

(04/09/03/03:31:37)

国家を超えて、人道の立場にたてばその主権は無視されていい場合もあるのではないかとポルポトの悲劇などの20世紀の教訓はものがたっているためにイラク侵攻となったわけです。
ほんとうにサダム・フセインが国民のことを思うのなら、亡命を受け入れるべきだったでしょう。

(04/09/03/03:28:56)

「国家」とは最終的な価値判断をするとされるもので、
インターナショナリズムの破綻も国家を超える共同体の想定に失敗したからにほかなりません。
前にも言いましたが原発が事故の時「妻子のことは心配するな飛び込んで直してこい」と言えるのが国家以外にあるのか?
チェルノブイリ事故は社会主義の非効率を露呈して、ソ連の崩壊につながりましたが、いったん起こった事故の処理は社会主義ならではの効率で行われたので日本は(それほど)被害を受けないで済んだのです。
拉致被害者を本気で取り戻そうと執念で活動し続けたのは家族だけでした。このまごうかたのない「正義」に応えられるのは「国家」だけです。
(04/09/03/03:23:04)
ムーア監督は何を目論むか?
ブッシュでなければ、ケリーならいいのか?
ここに二大政党制の矛盾があり、
「民主主義」には「国民教育」=愛国心涵養が不可欠とされる所以があります。

(04/09/03/03:13:47)
イラク侵攻で散ったという
「無垢の命」
この言い方には切支丹的なものが感じられます。
業のない命はありません。
もちろん「業」が発動するのは「縁」に由るのですが。
(04/09/03/03:12:23)

>「戦争をやめるように主張している」ご意見 (04/09/03/00:06:05)
そういえば、ヒトラーも戦争をやめるように
英国に言っていました。
だれも戦争をしたくて武力を進出しません。戦闘なしで手に入る方がいいに決まっています。

(04/09/03/03:09:22)
華氏911は見ていませんが、
「戦争は悲惨」ぐらいのことは見なくても承知。
イラク戦争」はやめたほうがよかったでしょうが、
自爆テロをしているのはイラク人だけではないようです。
とすれば、イスラムキリスト教との文明の衝突とも考えられ、武力衝突が起こらなくとも、両者が対峙する限り紛争は絶えないとも言えます。