池田先生は徳川家康か?

平野1000日闘争の手始めに、B長研修。
佐野関西副教学部長の話は大白10月号がテキスト。
創価学会でもっともよく使われる用語の「広宣流布」は世間には、おそらく「世界平和」と同意語と説明されているのでしょうが、
本来は「三大秘法の広宣流布」が創価学会の目的だったはずで、詳しく言えば、
「本門の戒壇」には(理の一念三千に事の一念三千が勝るように)
「義」と「事」があり
仏教哲学大辞典第3版p599下段
「『事の戒壇』とは広宣流布の事相の実現に応じて建立される戒壇で、全世界の人々の懺悔滅罪の道場となり全人類の平和を祈願し誓い合う根本道場となる…省略(三大秘法抄p1022の引用)、これに対して『義の戒壇』とは広宣流布の事相がまだ実現していない場合の本門の戒壇で、本門の本尊を安置し広宣流布の大願をもって信心修行する場であればどのような場所であっても、戒法およびその功徳において事の戒壇と全く“同意義”なので義の戒壇という。」(ここから意味不明瞭)「義の戒壇は事の戒壇と区別されるが、だからといって迹門の理の戒壇と同じというわけではない。戒法としては、どこまでも本門の本尊の受持を唯一の戒とする本門の事の戒法にほかならないからである。また戒法が事であるがゆえに、その功徳も『此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん』P1586と述べられているように、その場で根本悪である無明を滅し仏界涌現の功徳を生じることができる。このように義の戒壇も戒法及び功徳においては事の戒壇と全く変わりがなく、ともに本門の戒壇なのである」
よく言われることですが、公式文書から「書かれてないこと」を読みとることで洞察を検証できます。
大白蓮華10月号の初級試験教材「教学入門」の「1.法華経
には万人が成仏できると説いた教えだから尊いというようなことが書いてあって(僧俗格差の日顕宗への反証のつもりか)ふしぎに三大秘法が文底秘沈されていると言う説明が抜けています。
「2.日蓮大聖人と法華経」の最後のところで「大聖人は法華経の肝心(文底)である三大秘法の南無妙法蓮華経を顕し、弘められたのです。そこに末法の御本仏たるゆえんがあります」とあって、まるで「いいところでCM」のように「三大秘法」の説明がなく
「3.一念三千と十界互具」で話を逸らし
「4.御本尊と受持即肝観心」で御本尊と題目は説明あっても
(この章はひとりで書いたのでしょうか。2頁余りに『法華弘通のはたじるし』の文証が二度でてくるのはどうかと思います)
戒壇」の説明はありません。
本来、「三大秘法」と「広宣流布」は、あのさっぱりとした新・御観念文に入っているぐらい重要な用語ですから、真っ先に説明しなければいけないハズですが。
広宣流布」についても、まとまって項目を立てていないようです。
学会の教義が確定していないのか?それともイスラム教の「シャリーア」=全世界帰一と同様なことは世間をはばかるのか?
ちょっとズルいような。