仏法は平和主義、だから仏法は「民主主義になじまない」

民主主義の実験国=アメリカ合衆国が戦争ばかりしているのを見てもわかるように、民主主義国は国としてまとまっている以上「国民の総意として」戦争をする権利を持つのでやりたがることになる。負けた場合を考えて慎重になるのは君主制国家であろう。

*10/24。思いがけずTBがあったために付記;
(カリスマに忠誠を尽くす=善悪の判断を委ねるので)「宗教は民主主義になじまない」とは加藤紘一氏(たしか自民党が野党の当時の幹事長)の名言。ただし名著『アメリカの民主主義』のなかで仏人トクヴィルは「人間に利己主義を超えさせるのは宗教しかない、宗教は民主主義の基礎」といっています。加藤発言に対し藤井代表が「アメリカにでも行って民主主義を勉強して欲しい」と言ったのは《『アメリカの民主主義』を読んで》と言うべきだったのではないでしょうか。とはいってもアメリカ白人・黒人など「あとから来たもの」はいまでも(数々のインディアン戦争の結果)居留地に押し込めたインディアンと対峙状態にあるとも言えますが。
キリスト教と異なり)仏教はインターナショナルな思想で国家よりも「師」に従い「不殺生戒」を行うものですから「正義の戦争」など口が裂けても言えるはずはありません。宗教者が政治家になって良いのかと思うのはそこです。
Democracy=民主主義はプラトンの頃からずっとマイナスイメージであったのを米ウィルソン大統領が第1次大戦で対独開戦に「この世界を民主主義に住み良いものにするために」とウィルヘルム2民主主義国は大衆世論が沸騰した時にはイラク戦争を見ても正義=「戦争を根絶するため」の大義名分で戦争することがあり得ます。ことなる体制を劣ったものと見、国境を越えた正義があると思うのでしょうか。
第二次大戦はポーランドに対するドイツの侵入で始まりましたが、ヒトラーにも相当の理由はあり、ファシズム共産主義=組合民主主義が大衆民主主義の発展形態と見れば体制の違いが総力戦争を引きおこし無条件降伏を求めざるを得ない不自由さが悲惨を深めたといえます。共産主義国ソヴィエト連邦アイスランド等を予防的必要性から侵略したことも戦後東欧を実質支配したことも第二次大戦のあまりに多くの犠牲が厭戦気分をもたらしていなければ充分開戦の理由となりうるものであったでしょう。北朝鮮で金総書記への信任投票がおこなわれれば100%の投票率で100%の支持を集められるでしょうから、高度国防体制は民主主義の最高形態ともいえます。下にあるホー・チミンはあまりに多大の犠牲にひるむことなく国家独立戦争を戦い抜きました。(最後は彼の後継者によってですが)民主主義の一端でしょう*

平和な日本で創価学会員が日本が平和なのは創価学会あるおかげ」と思っているのはバカなだけで実害がないが、先日池田大作師がハノイ大学の関係者の前と言うこともあってホー・チ・ミンを讃えたのには今さらながらおどろいた。USAの戦死者5万超というが、北ヴェトナムだけでその10倍いくという。出生率高い国では若者が死んでも「気にしない」のかなあ。
池田大作師の名誉博士号はチャイナが多いが、創価学会諸子はまさか無血革命といわないまでも明治維新程度の小規模の流血で建国がされたと思っているのではあるまいな。南京アトロシティー「30萬」を固執するが、辛亥革命からの国内累計はそれを100倍するかも知れない。

ところで今朝の聖教新聞社説には大御本尊「御図顕の日」となっている。
「ご建立」といわないところに「戒壇の御本尊」ということから離れたいという意図を感じる?

新人間革命は「18巻第一章獅子吼」第一回。『人間革命』映画化の話、
もちろん「淫祠邪教」(先日の「寸鉄」)と一体だった頃のことだから悪事はみんなそちらと死んだ北条会長に押しつけるのだろう。