そうか池田総務は逆立ちして歩いたのか

【あしおと】神奈川県川崎市 総県男子部副書記長 矢澤省一「一歩も退かない」美容師として一流、30歳で結婚。「桂冠会」。区男子部長、店が倒産。老舗の店長に。 
岡山県津山市 婦人部副本部長 土居喜代子「母に感謝」小学校4年、ジストニア発症。昭和60年母とともに岡山駅で池田先生との出会い、もみじ饅頭。30歳結婚。長女創価女子短大卒、地元信用金庫。次女創価大学、小学校教諭。母は甲状腺がん、闘病18年、平成6年没56歳。
【研修教材】『妙心尼御前御返事』p66『当時のゆきつしま(壱岐対馬)のものどもは病なけれども・みなみなむこ(蒙古)人に一時に・うちころされぬ』「また病気でなくても、不慮の事故や災難で亡くなる場合があることを、蒙古襲来で大勢の命が奪われた例で示されています」今更言うまでもないが、この御書にも《対馬は日本であること》明らかである。せめて韓国SGIは、そのようにその機会あったら言明してくれるだろうか。それとも「各国の判断に任せている」「政治的なことには関わらない」なのか。宗教は殉教者の血で育つのだが。弾圧されたから韓国SGIは発展したのだが。