池田大作は法主の座を狙っていたのか?

阿部本尊の御取り替えを完了したうえは、日達本尊に至るのは必然ではあるが、正面からあれもマズイと言うのはマズイという小心らしい配慮。で、支部幹部には「特別御形木御本尊」を授与するが順番があるのでだいぶ先という。心の準備をしておけということか。
「お断りします」「理由を言うのは勘弁してください、言うと学会を辞めねばならなくなります」と言おうかと思っている。ほんらい佛師という職業は僧だろう。「在家も僧も平等」ならだれが御本尊をつくろうとかまわなくなる。「衆生が仏」なら「仏も衆生」で三世常在の仏は架空で時に応じて仏の役割を果たす個人がいるだけになる。パーソナリティは後天的なものだから死によって喪われるとしか思えないが、アラヤ識に業は残るはず。転生と通常考えられるケースはアラヤ識でほとんど説明できる。
ところで。俺は財布とかをよく無くすが、携帯物はつねに身につけていないと失いやすいもので、ペンダント型御本尊など流布して事故があったら大変だとちゃんと教えているんだろうか。「創価学会は御本尊を大事にしてきたから大発展してきた」。御本尊のかたちをして御本尊として扱われるものはニセではなく御本尊であるとしか言いようがない。