我描く、故に我在り(アートに限らず友人が私を支えている)

新今宮での通夜の帰りに天王寺駅前ブックオフで20冊ほど買いこんだ。普段¥50の岩波新書等がなんと3冊¥100セールで総計で¥1025。回転寿司の一食ぐらいの金額にすぎない(そんなに食えないが)。満腹は数時間、20冊を読み上げるとしたら一冊5時間としても100時間毎日三時間読んで1ケ月以上か。
読みさしや全く未読は増えるばかり。
歳をとると食欲の質が変わり一年前に比べても油もの・肉類が食えなくなったが、読書も『既成権力の悪』『人民の善』を謳う左翼著作は所詮性善説と了解しても居丈高なのが気になるし、悪を描くクライムノンフィクションなどは心痛んで疲れるので読みにくい。
読み漁りというべきか、¥100なら読む時間があるかなど気にせず心惹かれる一文があるなどで買うが、図書館でいつか読むと決めていた本も予約で借り出しているし、さすがに名著といわれる本は説得力あり(常識、定見がないのか)すぐに影響される。「落ち着きなさい」と高校生の娘に言われるが「国会議員でもない私ひとりが右翼的になっても国に迷惑かからない」と返事した。
選りすぐって集めても蔵書は虚栄心以外の満足をもたらすものではないが、脳内の知識大系もそれを共有し評価する知己が無いとしたら幸福感より幻滅だろう。家では俺に似てヒョウキンな下の娘が中学校のポスターを制作するかたわらピクチャーのような落書きをしていた。美的感覚だけが確かな価値創造の途かも知れない。