二人の人間が、仲違いしたとすれば、それはそれまで二人の仲が良すぎ

(BYポール・ヴァレリー
(日顕上人と池田名誉会長も親密な相互依存の関係にあった。両者の性格が似ているという人もいる、それが真とすれば裏面を見せない創価学会の「側近」組織の堅さがうかがえる、日達上人は「法主ともあろうものが人前で怒鳴られて」とか言っていたらしい。真実とすればあの猫撫で声の裏面には血も凍る罵声があるのか。)

ヴィクトル・ユゴーサントリーホールでやっていて、展示最終の今週は創価学会が動員かけているから混んでるだろうねえ。来週からは閑散として海遊館も隣だしデートコースにいいかもね。さて。知識は関連づけないと無意味だから行く前にと伝記を読んでみたけどまだ行ってない。Vユゴー吉川英治ぐらいの作家かと思ってたが、庶民に愛唱され文学者には異例の史上空前絶後国葬というと加えるに斎藤茂吉ぐらいか。自分流の宗教を作りたがった点も池田先生好みか。『十字架』という宗教詩がある「泣くものは来たれ、神も泣いている…」展示は亡命など被弾圧の面だけを強調しているが、獄中・流刑に思想を発展させた偉人も多いように彼の文学の完成には多大の利益があったのも確か。19世紀フランス文壇でロマン派を主流にするのに同志であったサント=ヴーヴは伝記作者の言うように親密すぎる関係だったので破局がきた。「何でも話せる友人がいるほどお前の人生は底が浅いのか」ユゴーの正妻アデールとの関係は精神的にとどまっていたようだが。創価高校の平成13年国語入試問題の小林秀雄の一文にこのサント=ヴーヴが『古今もっとも優れた読書家』として引用されているのも皮肉なら「文は人なり」というテーマもきわどい。

『真実の証明』はおもにアラ探しのために読まれるという意味で典型的悪書であり『新・人間革命』と好対照、というより好一対だが
池田大作氏の著作は、再三の熟読どころか一回の読書にさえ堪えられるだろうか。