人は誰しも自分の過去を振り返るのは恥ずかしいものである。

個人にしても国家にしても。しかしそれが時には必要なこともある。
以上勝田誠彦さるさる日記

人間革命第4巻p158「正月三日に入社して以来、この少年雑誌の編集一本の途をただ懸命に歩んできていた。五月になった時、前任の責任者が移動して、彼が直接の責任者となったのである」…「八月に『冒険少年』を『少年日本』と改題して、若き編集長は張り切った。戸田の指導、鞭撻はこの頃から、にわかに厳しくなってきた。彼は、毎日叱られていたが…」
p153「辛うじて『冒険少年』は孤塁を守り」
一月に入社した出版未経験者が五月には一雑誌の編集長になる大抜擢。
実績も上げるとは、さすがに常識では考えられない大天才。

鈴木健二『歴代総理、側近の告白 -日米「危機」の検証』
毎日新聞社1991(著者は毎日新聞政治部記者からエコノミスト編集委員として多数の著作あり)
投稿者 鬱子 登録日 2005年1月13日3時4分

吉田茂から宮沢喜一まで13人の首相の在任中の裏面史を、それぞれ大物になった当時の側近が語っています。外交には国民にはとうてい明かせない舞台裏というのが当然あるもので、欧米では引退後に自叙伝で釈明したりしますが日本の政治家は暴露するにしても没後で、世間から忘れられた存在になってからのようです。英国では首相を引退すると議員も党籍もはなれて後任者に自由にさせるのが伝統と言いますが、日本では吉田茂の悪例が(中略)。
通読してことに池田会長、ではなくて池田勇人首相の功績が目を見張るものがあると感じました。無学にして存じませんでしたが「米国からの戦後援助(ガリオア・エロア援助)20億$を5億$15年返済に値切ったとは言え返済した」(そのために対等に口がきけるようになった)(米国からの援助を真面目に返済した国がほかにあるでしょうか)、「ケネディ大統領愛用のヨットに招かれて『沖縄で元日以外の祝日にも日の丸を掲揚する』許可を得た」(いうまでもなく沖縄返還前)、「大陸の中共政権に交渉する了承をアメリカにとりつけた」(松村謙三などの運動の前提)、アジア賠償、「韓国に賠償交渉を開始し佐藤栄作が『無償2億$政府借款3億$』で決着する基礎をした、ドゴールに「トランジスターのセールスマン」といわれるまでに経済交渉で頑張った、そしていうまでもなく「所得倍増」。

OKWebで「戦後民主主義とはなんですか」という質問があって、参考にしようと読んでいましたが知らないことばかりで、誰か詳しい人がOKWebに答えてくれませんか。