日本の左翼、サヨク(心情的賛同者)は反米であっても愛国心が無い

つれづれに古新聞読むと
センター試験現代社会」第1問、問1「日本も男女平等の社会づくりを進めて
いる」にあてはまらないものを選べ。
①(育児休業
男女共同参画社会基本法…あらゆる分野の活動に対等に参画できる社会の形

③男女雇用均等法…セクシャルハラスメントの防止を企業に義務づけ
④選択的夫婦別姓

夫婦が同姓というのは差別ではない社会慣習だから④、
ことによるとセクハラというのは男女にありうから③かと推測して、解答をみる
となんと①。
「育児は両親ともの義務だから」とでもいう理屈だろうが、(育児休暇を男性も
とるようにという馬鹿な指針もある)
職場の実態を知っていたら考えられない正解。本当に誤植、あるいは見間違いで
はないか目を疑うところで、
社会の現状を無視するジェンダーフリー原理主義の侵入か。
来年以降の受験生が第一に参考とする「過去問」は影響力が計り知れないほど大
きい。

日本の左翼、サヨク(心情的賛同者)は反米であっても愛国心が無い点、思想集
団、政治思想の名にも価しない。
君主=伝統、民族アイデンティティーのシンボルへの忠誠を否定するなら
なにに忠実であろうというのか?占領政策の余韻に浸っているだけ。
本来は「強制連行」というような新造の罪責強調用語横行に抗議せざるをえない
はず。
センター試験に出題したのには「商売を優先して国を貶めるのか」と反対してこ
そ左翼。

中学生の娘が「ポルノ好き」と言っても驚いてはいけない。
「高音が澄んでいてきれいだもんね」とか答える、つまりポルノグラフィティ
であることぐらい
瞬時に察知しないと。
むかし、オーバーキルという凄い名前の(ロックでは普通?)バンドがあって
「W.F.O.」というアルバムを出した。すなわち“ wide fucking open 
”。
こんなタイトルをDJがどう言ったかというと、
「レース用語でアクセルを床まで踏んだ状態」なんて白々しい。
fuckという言葉はベトナム戦争後あまりにも普及して衝撃力をなくしたので
“F.”というのがはやったとか。

トルストイは人肉を喰わなくなったことと結婚制度ができたことを人類の進歩の
証拠と考えていました。
やがては畜肉もくわなくなり夫婦でも一定期間以外はセックスしなくなるだろう
と思っていたようです。
(仏教の戒律主義をたかく評価しています)
キリストの「最後の晩餐」はキリストがパンを自分の肉としてあたえて、これ以
降、人の肉を食べてはいけない
(他人を喰いものにしてはいけない)と諭す儀式でもあったということですが、
20世紀(そして21世紀)戦争や収容所の大量虐殺をみれば人食い人種なら
「なんともったいない、食べきれないほど殺すとは」というかもしれず、人類の
進歩は証明されたとは言えませんねえ。

以前ダチョウが食肉に有望というTV番組で養殖者は「バカだから、脳がクルミ
ぐらいしかないんだから」といっていて、
それなら食べてもいいという気になりました。ヘルシーなステーキになるそうで
すが。
(鴻上)『ドン・キホーテのピアス』という本に「もの食う人々」の辺見庸が一
番うまかったものと聞かれて
「韓国で食べた犬料理」と答えたときに聞き手に同行していた女性記者が嫌悪・
困惑した様子が描かれています。

女「だって、犬はかしこいじゃない」
聞き手「君はバカだったら食べてもいいというのか」
女「…」(詰まる)

「バカだったら食べてもいい」と言う考えもありうるが、
なんぼ養殖された犬でも「食べもの」という概念にあてはまらないというだけの
ことでしょう。
クジラ、クラゲ、イナゴ、牛蒡、納豆、たくわん、とおなじく。
私の愛読するスヌーピーは、人間がアニマルビスケットを食べているのを見て「
野蛮だ!」と吐き気をもよおしたことがあります。

生命とか、真心の奉仕に
「手を合わせられない者」には信心は「出来ない」。
典子は、今』みたいに肉体的に手がないだけならできますが。
(典子さんと、映画で共演した三上寛が学会員なのは御承知のとおり)

9.11テロのあと、TV局がヨーロッパの子どもと日本の子どもの討論番組を
企画した。
平和主義を日本の子どもが言うと不思議そうに「あいてが殴ってきても殴り返さ
ないの」
「それで平和が守れるの」日本の子どもはついに「なぐりかえす」と答えたそう
ですが
さすがにそこは放送されなかったとか。

上記情報のある中央公論の「夢の憲法前文」高校生特集には、
解説で素朴な平和主義という形で、「小林よしのりの論理は立ち往生している」
と述べられていますが、「まだ反戦論にもならないような厭戦論に近い」(大塚
英志)
わたしも、素のままの感情でなく、他人を説得できるような「平和主義」を求め
ている。

さて以前、娘に「お釈迦様とキリストとはどちらが偉いの?」と聞かれたことが
あります。
「キリストさまは自分でいわないで『神の子』だと弟子たちにいわせたが、
お釈迦さまは自分で、最初の弟子に『私は目覚めたものである、対等の礼ではい
けない』
と自分のことを偉いといって認めさせた、ゆえにお釈迦様が勝る」
「さらに偉いといえるのはマホメットで、別段の奇蹟をしないのに
(寝ている間に天使に運ばれて天国に行ったとか言うのは奇蹟の内に入らないで
しょう?)
アラーの神を認めさせて、暑い国で年1ヶ月の断食や一日5回の礼拝もさせる」
と言いました。さらにいえばユダヤ教はさしたる教祖がいないのに戒律を守らせ
て偉い?
神道はモーゼのような教祖もなく、大東亜戦争を遂行できたのは

日蓮宗のパワーではないか」(昔の「第三文明」に載った平岡正明の意見)