ガイガーカウンターを使って現場検証をしたという事実

尊敬する若生彊雄さんのメルマガより。
アテネオリンピックのために先週とばされたテレ朝の「テレビタックル」が
帰ってきた。やはり政治に対する庶民の不満のはけ口になるこの番組がないと
週が明けない。

今週の番組で最初に取り上げたテーマは沖縄で墜落した米軍ヘリの問題で、
パネリストは全員が憤慨していた。「戦後60年近くたっても日本は未だに植民
地じゃないか」と思わせられたこの事件に対する小泉首相の対応は言語道断。

「夏休み」と称して沖縄県知事の訪問を官房長官に任せるなんて「触らぬ神に
祟りなし」で、難しい問題を総て回避する彼の手法の典型だ。

「庶民の不満の捌け口」と言ったが、米軍が防護服/防毒マスクで身を固め、
ガイガーカウンターを使って現場検証をしたという事実を番組でまったく取り
上げなかったことは極めて不可解。これでは、当の「TVタックル」も「触らぬ
神に祟りなし」ではないかと言われても仕方あるまい。
政府も信用できない。マスコミも信用できないとなったら、庶民は何を信用
したらよいのか?」
(引用終り)
沖縄で『生活者の視点で一人を大事にする行動力』『だれもがあきらめていた
ことを受け止める存在』とは何か?
公明党にはチャンス!

支那文学者高島俊男が書くモンゴルに北京などの都会から下放に行った少女の話。
好青年と知り合いになり「家に遊びに来ませんか」というので、休日に訪問す
ると(誰も警告してくれなかったのか)ご馳走がでて暖かく歓迎されて、そし
て突然父母祖父母たちの目の前で強姦されたとか。泣いたり叫んだりするのも
「慣習、儀礼のうち」で誰も変だと思わなかったという、つまり遊牧民で家畜
の交接を見慣れていてそういう嫁取りの文化のある民族であったのに対し、
アグネス・チャンの水着が貴重なのをみてもわかるように)漢人は性に対し
て極度にストイックでナイーブなので十代後半くらいの少女なら「男と女が何
をするのか」「子供はどうやって出来るのか」知らないのが普通というので、
これはSM初体験どころではなく、ショックのあまり精神に異常をきたしたり、
妊娠に気づいて自殺したりという事例が相次ぎ「都会から来た仲間は憤慨して
犯人を捕縛処刑せよと迫ったが、いかに漢人がモンゴルを支配していると言っ
てもこの場合罪を問うわけにも行かない」そりゃそうだ。下放とは「都市に置
いておいては危険な進取的分子の棄民」でもあるし。
抵抗しおおせたら?
男は「弱虫」と馬鹿にされてとおりすがりを強姦でもしないといけないかも。
ある程度好きならば本気では抵抗しないかも。

ヨーロッパのある国では
食事を一緒にすれば、寝るのを承諾したことになると同じようなこと。

映画化もされた名作『グループ』には、社会主義運動家の女性が、親切にタクシー運転手に家に入れて食事を振る舞ったら誤解されて強姦されそうになり、抵抗して相手に重傷を負わせたので治療費を払って上げたという話も含まれています。
「レイピストは好意を利用する」

「中国の’90年代は日本の戦後50年に匹敵する」で、
あらゆる資本主義の悪徳と繁栄が北京や上海のような大都会にはあるそうですから、
いまは仮に再度「下放」があったとしても、そんな悲劇はないはずです。
何も知らない方が男にとっては可愛いでしょうが。
一般的に言ってポルノの氾濫は都市型犯罪に抵抗力をつけるため?



先生の去年夏頃の詩に「広宣流布!それは人類幾千万年の願い!」とあったの

びっくりして、ネアンデルタール人広宣流布をどう捉えていたのか思案して
います。(研究中)
知性すなわち自意識なくして広宣流布はできないでしょう。
例えば「空を飛ぶ」ということでは鳥類以外にも昆虫もムササビもコウモリも
飛び、飛ぶことが鳥などは骨を中空にして軽量化してまで生存に有利になるの
はわかりますが、「知性」は類人猿以外持たない、おそらく知性=「自意識」
には「家族」の概念が必要で、童話と違ってアニマル一般は家族を持ちません

しかし、家族を持つことが生存に有利ではないのではないかという疑いがあり
ます。二足歩行はアフリカ大陸で水中の捕食に有利なように進化したという説
があり、事実類人猿で唯一体毛を失ったことも水中生活に有利であったと考え
れば納得がいきます。(白浜アドベンチャーワールドで白熊見ましたが水際で
は二足歩行と言っていい動作です)前肢が歩行から解放されたことにより、獲
物をもって帰れるようになり家族が生まれたと考えられるわけです。
絶え間ないエサ集めから解放された「産む性」は知性を発達させる機会を得た
かも知れません。授乳期間中に言語を覚えなかった乳児は一生覚えられないか
もしれないといわれます。
またその日暮らしの食糧以上の獲得をしようと言う欲求が、非力なヒトに道具
の使用を発明させたかも知れません。
知性の発達からする道具の使用によってあまりに個体数が増えたヒトが「産め
よ増やせよ」という生存の欲求に従って環境を、採集から栽培に・狩猟から牧
畜に、自分に都合良く改良するのは必然でしょうか。また省略して言えば、
たびたびの危機に生産性向上の「革命的変化」が成功したからこそ人類は増えすぎて自らを敵とするまでになり生活空間の限界という制限を受けるようになっているのでしょう。

なんにしても19、20世紀の共産主義者が思っていたような「原始共産制
=乱婚時代はありえず、「革命」とは正義の名の下に原初的生産関係に復帰さ
せると企てられるものですが、サル学の常識では大部分のオスは子孫を残すど
ころか一生SEXできないのが現実です。

動物学者デズモンド・モリスは「人間は本能の壊れているのは動物園にいる動
物に似ている」と言っています。
広宣流布とは社会的に見て人口増加の自己抑制か?
肉食をやめるべきか?

≫先生の去年夏頃の詩に「広宣流布!それは人類幾千万年の願い!」とあった
失礼しました。2002年7月22日掲載『広宣流布!これは人類の願望』です。
「それを人類は幾千万年夢に見た/先史時代より…人類唯一の誓いであった」
とありますから、やはり「死者に花を供えた痕跡がある所を見ると信仰心があ
ったらしい」というネアンデルタール人を想定しているとしか思えない。
1976年に発見されたアファール猿人の足跡化石は25メートルに及ぶモノ
で、オトナが二人コドモが一人の三人連れでしたからすでに家族が発生し、
親子三人の漫歩かも知れない。

2002年7月22日掲載『広宣流布!これは人類の願望』の中には
ガンジーの「すべてを上の指導に待ち、命令してやらせるならば結局何も達成
されないだろう」という言葉が好きだとの一節もあります。
創価学会の崇高な目的に感動し、自発的に奉仕するのでなければ、
知恵も工夫も出ず、説得力も社会的影響もないでしょうね。
問題は他人が崇高とおもってくれるかですが。

「言語発明前後」の猿人の生活についてはゴールディング『後継者たち』、
筒井康隆『原始人』といった小説でも考察されています。

さて。性的魅力で惹きつけるためにメスは妊娠中も交接可能となりった
オスもメスもそれに対応して「発情期」が特定期間でなくなった。
(「愛情」のはじまり)(ピグミーチンパンジーだけが共通)
(人間の「ピグミー族」を差別語と言う人がいるが、彼らの正式名称はバカ族という)
メスの人生は可能になればすぐ妊娠して授乳期間の他
は妊娠し続け、二足直立になった代償に出産は危険だから
ほとんど閉経前に出産事故で死ぬ。
死ななかったメスは男と違ってヒゲがないため歯が抜けたのが剥き出しで気持
ち悪がられ、それでも居座るうちにババアの強引さで「予言」を「的中した」
と言い張って「教祖」になったかもしれない。
(宗教の起源?)

猿人のオスのボス(他のさみしい君には選択の余地無し)に
「協働作業をするために非力な奴にもメスを一人づつあてがってやれ」
と言いうるのは、やはり「権力」の存在が不可欠でしょう。
広宣流布とは権力構造の存在を前提とします。

猿人のメスに「子供を産まない生き方もできる、
SEXしないで(それ以外確実な避妊法はあるか?)
男と食べ物を探しに行くんだ」
と言ったら?「わたしはこの方が楽でいい」と尻を差し出さないか?
法華経を持つ女人は外面は女身なりとも内面男子なり」と日寛上人がいわれ
るように広宣流布は「男のロマン」かも知れない。

捕鯨論者の言い分をつきつめると、人は人工的に飼育したものしか食べては
いけない、となるようで、そういうものだけを食べて育てば「新人類」になって
不思議はない。