全世界のみならず他の星までも
池田先生の対談集を読んでいると、話が盛り上がったところで話題が転換して
歯ぎしりすることがあります。本当はその続きの話があったのではないでしょうか。
池田先生と英国天文学者(定常宇宙論者)ウィックラマシンゲの対談『宇宙と仏法のロマンを語る』では
ウィックラマシンゲ教授は「インドで初等教育しか受けなかったにもかかわらず、当時の数学界と隔絶した高等数学の定理を大量に案出したラマヌジャンの事例は『転生』の証明になるのではないか」
と容易ならざることを言っています。
(『博士の愛した数式』の博士にもラマヌジャンの面影があります)
人類の知らなかった数理を生まれながらに知っていたということは?
他の星のエイリアン=知的存在からの転生があったことを意味しているのではな
いでしょうか?
微分積分でも非ユークリッド幾何学でも時代に絶対に先がけたものではなく、
そういう時期に来たときにほぼ同時に複数の人に案出されていますが、
ラマヌジャンの発見は彼なくしては百年経ってもわからなかったろうと藤原正彦は書いています。
このラマヌジャンの事例を他の説明ができるでしょうか?
そういえば現在まで彼等をこえる倫理思想がないと言い得る三大聖人、
ゴータマ・シッダルータ(BC562?〜BC482?)
孔子(BC552〜BC476)
ソクラテス(BC470?〜BC399)
は、ほぼ同じ頃。
三人の「人類の教師」の教説は「死後の生」があるともないとも(ぼやかして)
はっきり言わないという共通点があります。
「若佛」
そういえば
BC586バビロンの捕囚(ラムセス2世が与えた一神教をユダヤ人はえらく気に入り民族のアイデンティティーとなった)
BC580ピタゴラス生誕も同じ頃。
異星に「大日如来」みたいなのが居て「地球の文化を進展させよう」と弟子が転
生してきた?
(半村良『妖星伝』みたいだな。)
戸田先生の会長就任式で日淳上人は「全世界のみならず他の星までもこの妙法
をひろめて」と言われました。
仏法が数学のように真理なら、転生して他の星で広めるもありうるでしょう。
(「幻魔大戦」みたい)
戸田先生は霊山にお帰りになる直前には
「折伏のできない他の星に生まれて来るか」と言われたとか
自分の生れ変わりという人が出るのを抑えるため?
いやいや打算でものを言う先生ではありません。
メルマガ■科学の散歩道「宇宙の年齢」より。
「宇宙論は、かつての「桁が合えば良い」という大雑把な学問から、精密科学へ
と移行する途上にあり、
多くの突飛な宇宙モデルが淘汰され、一般相対論と素粒子論に基づく標準的な理
論が確立されつつある。
今後の課題は、宇宙エネルギーの大半を占めると推定されるダークマターとダー
クエネルギーの量や起源を明らかにすることだろう。
それが済めば、地平線の向こう側を含む全宇宙のトポロジーや、ビッグバン以前
のマザーユニバースの有無などについて解明しなければならない。
そこまで行くと、「われわれは宇宙をだいぶ理解できた」と胸を張って語れるだ
ろう。」
(注意!)近年、『アインシュタインは間違っていた』とか『ホーキング理論の
大ウソ』と題された現代物理学批判の著書が出版されていますが、その中には理
論的根拠を欠いた不適切な内容のものが多いので、気をつけてください。
←制作者(吉田伸夫)がいくつかの大学で行った科学・技術関連の 講義内容を
まとめたウェブページの注釈。
池田先生は英国のウィックラマシンゲなど「定常宇宙論」学者と対談され同調し
たようなことが多いが、
仏教の直感は「常に変動し発展し続ける宇宙」「生命と同様に、進歩もあれば堕
落も生も死もある」ではないか。
ありうる宇宙のうち、「自己の存在を自覚する知的生命を内包する宇宙だけが存
在すると言える」という仮説もあるようで。
小松左京は「もしも人類が滅亡までに他の知性体と出会うことが無くても、宇宙
に他の知性が存在するという示唆でもあれば
安心して滅亡できるのに」と言っています。そりゃ『レンズマン』の「アリシア
人」でないんだからいつかは滅びるだろう。
いい人が寿命で死ぬのは悲しいが、悪い奴もいつかは死んでくれるので五分五分。
(以下転載)
「夫以外とのセックスはなぜこんなに楽しいのだろう」とかいう林真理子
『不機嫌な果実』のコピーが話題になりましたが、男が
「わたし、妻とはセックスレスですが『人妻ピンサロ』は大好きで
月二回は行かないと淋しいです」というのは異常とは見なされない。
要するに男も女も助平とは言えるような。
(つまり自分の遺伝子を残したいと言うこと)
「本当は男の方がロマンチック、男は自分が花を贈って欲しいから女に花を贈る
」
マイクル・クライトン
表彰などでメダルや花束を渡されたときのうれしそうな顔をみると一理ある。
「広宣流布は男のロマン」と思う根拠です。
命に逆らって君を利する之を忠と謂い…(荀子・臣道)
少し前後も引用すれば
命に従って君を利する之を順と謂い、
命に従ふも君を利せざる之を諂と謂い
命に逆らって君を利する之を忠と謂い
命に逆らって君を利せざる之を簒と謂い…(後略)
民主主義のもとで、主権者である国民の世論に逆らっても
国をよりよい方向へ導くのが忠臣である政治家の務めではないか。
「小説・葉隠」で主人公の父が主君に諫言したために切腹を申し渡されて
「これぞ男子の本懐」
という場面がありますが、このことをいったものでしょうか。
池田小襲撃事件の宅間守は中学時代に恐るべき一文を書いていました。
「おれには部落問題解決の名案がある、
それは部落民が子供を作るのを禁止することだ
そうすれば数十年後には部落民などいなくなる」と。
思うに天皇家も今のままでも男児出生が無い限り滅亡ですが
ネット上のHPであまりに愚劣な一文を見かけました。
>>さらに池田創価学会が、破門されて、なお、『正本堂建立』を誇り続けている
現実
>>(すなわち正本堂が、池田本仏論の最大の依り拠となり続けていること)に鑑
み、
>>池田の妄執を払い、池田本仏論という前代未聞の大謗法の根を断つべく、
>>解体が決断されたものと拝する〟 ということであります。
むかし、「正本堂」という建物がありましたが、建物に罪はない。
ある人間を「私が生んだ」と女が言い張っても、処女で妊娠したわけでもなく
成人すれば独立した人格がある。
まして創価学会が勝手に建てたものではない。
自明の事実を否定するために
数十億の費用を費やして解体するのは「人間軽視」きわまりない。
創価学会は信徒と僧侶が対等などと思ってもみなかったし、
上に立つものは
池田先生を、ついで創価学会員を「破門」とは死刑にひとしいが、
アカウンタビリティ=説明義務があるのが当然。
忘れてはいけない、「カノッサの屈辱」をうけたハインリヒⅡ世も、戴冠をして
からは
こっちのもんだとばかり、仕返しを充分にやってのけたことを。
「思想家、宗教家は一言で要約できる言葉を持っている」とか。
法然は「捨閉閣放」
親鸞は「悪人正機」
鈴木大拙は「般若即非」
西田幾太郎「絶対矛盾の自己同一」(場所的逆対応)
久松真一「F・A・S」
滝沢克己「不可分・不可同・不可逆」
秋月龍萊 「一息に<超個の個>」←自薦
だそうで。(意味は知らん)
付け加えれば、
孔子は「則天去私」
釈迦は「いまや死は克服された!」
ソクラテスは「無知の知」
イエス・キリストは「幸いなるかな貧しき者」
デカルトは「コギト・エルゴ・スム(我思う故に我あり)」
パスカルは「人間は考える葦である」
ルソー「子供は裸足で育てるのがよい」(「自然に帰れ」は著作にないという)
(余興)フローベール「ボヴァリー夫人は私だ」
ドストエフスキー「神がなければ人間にはすべてが許されている」
トルストイ『愛があるところ神はある』
ニーチェ「神は死んだ」
ガンジーは「サティヤグラハ」(「慈悲による拒絶」?)
戸田城聖は「佛とは生命なんだ!」
というところでしょうか。
池田先生については思案中。
「宗教は唯物論に近いほど議論に強い、
創価学会はかなり唯物論に近い」by大宅壮一。
日本の宗教団体でかなりまれなことに「臓器移植」に肯定的なところなど、
(雑誌「ダ・カーポ」アンケート)「西欧的」かも知れません。