広宣流布!それは人類幾千万年の願い!

23日公明新聞・書評欄『消えた受賞作 直木賞編』に
木村荘十の『雲南守備兵』は地方軍閥の腐敗をあばいている。日支事変を正
当化する作品と受け取られたのだろうが、中国語に訳したら高く評価されるか
も知れない」とあります。国民党の弱さを言うからというのだろけど筆者の個
人的意見としてもどうかな。
統一政権がないだけに「支」を使うのですが、日華事変とか、日中戦争とか、
(まるで安定した平和なところに攻め込んだというイメージを持たせたいらし
いから)いっそ偽満州国とかいうほうが穏当かも知れない。

22日公明新聞・投書欄に「小泉首相は来年の参拝も明言した。信教は自由で
あるから個人での参拝は勝手である。だが遺族や国民の全体観に立っての配慮
を忘れてはなるまい」というわかりにくい意見がありました。
要するに「無宗教の国立追悼施設」を作ればチャイナは靖国参拝に追求を止め
るとでも?
会田雄次『アーロン収容所』には日本人捕虜への虐待が描かれています。日本
は英国首相に「なぜ白人がシンガポールにいたんだ」「虐待当事者の祀られて
いるウェストミンスターには参拝するな」あるいは「無宗教の別施設を作れ」
と言えるでしょうかねえ。

「10$で食べ放題、アイスクリームだけで6種類」というような興味深い話
を聞きました。知る人ぞ知る。
「東」は東にあるようです。

国家主義は健全なはずです。国家しか「国民」を守ってくれるモノはないです
から、それに奉仕することは全体の利益です。それを他人、他国民にまで強制
するのが超国家主義でしょう。
日蓮宗一般が神社を参拝しないとしても、他人まで掣肘する超日蓮主義がいつ
生まれたのでしょう。まさかチャイナの後押し?


先生の一昨年夏頃の詩に「広宣流布!それは人類幾千万年の願い!」とあったので
びっくりして、ネアンデルタール人広宣流布をどう捉えていたのか思案して
います。(研究中)
知性すなわち自意識なくして広宣流布はできないでしょう。
例えば「空を飛ぶ」ということでは鳥類以外にも昆虫もムササビもコウモリも
飛び、飛ぶことが鳥などは骨を中空にして軽量化してまで生存に有利になるの
はわかりますが、「知性」は類人猿以外持たない、おそらく知性=「自意識」
には「家族」の概念が必要で、童話と違ってアニマル一般は家族を持ちません。
しかし、家族を持つことが生存に有利ではないのではないかという疑いがあり
ます。二足歩行はアフリカ大陸で水中の捕食に有利なように進化したという説
があり、事実類人猿で唯一体毛を失ったことも水中生活に有利であったと考え
れば納得がいきます。(白浜アドベンチャーワールドで白熊見ましたが水際で
は二足歩行と言っていい動作です)前肢が歩行から解放されたことにより、獲
物をもって帰れるようになり家族が生まれたと考えられるわけです。
絶え間ないエサ集めから解放された「産む性」は知性を発達させる機会を得た
かも知れません。授乳期間中に言語を覚えなかった乳児は一生覚えられないか
もしれないといわれます。
またその日暮らしの食糧以上の獲得をしようと言う欲求が、非力なヒトに道具
の使用を発明させたかも知れません。
知性の発達からする道具の使用によってあまりに個体数が増えたヒトが「産め
よ増やせよ」という生存の欲求に従って環境を、採集から栽培に・狩猟から牧
畜に、自分に都合良く改良するのは必然でしょうか。また省略して言えば、
たびたびの危機に生産性向上の「革命的変化」が成功したからこそ人類は増え
すぎて自らを敵とするまでになり生活空間の限界という制限を受けるようにな
っているのでしょう。

なんにしても「革命」とは正義の名の下に原初的生産関係に復帰さ
せると企てられるものですが、サル学の常識では
19、20世紀の共産主義者が思っていたような「原始共産制」=乱婚時代はありえず、大部分のオスは子孫を残すどころか一生SEXできないのが現実です。

動物学者デズモンド・モリスは「人間は本能の壊れているのは動物園にいる動
物に似ている」と言っています。
広宣流布とは社会的に見て人口増加の自己抑制か?
肉食をやめるべきか?

捕鯨論者の言い分をつきつめると、人は人工的に飼育したものしか食べては
いけない、となるようで、そういうものだけを食べて育てば「新人類」になって
不思議はない。

雑誌「るるぶ」に日蓮宗三大寺院とかで大石寺も取り上げてあったそうです。
なんたる屈辱。
東大寺は死んだ信仰だから拝観料を取る。
サン・ピエトロでは信仰が生きているから決まった料金は要らない」曽野綾子
どうせ大石寺には拝観料があるんでしょうな。
キチガイの学会員がダイナマイトを投げつけない保証はあるんでしょうか。