「一声、二振り、三姿」

御書にはひとつの同文も無いと言われていますが、
私は「同じ事を同じ表現では繰り返さない」ことを心がけています。
世には、御書や三代会長の著作に限らず、
中江兆民『三酔人経綸問答』とか
森鴎外最後の一句
宮沢賢治銀河鉄道の夜
内藤濯;訳『星の王子さま
三島由紀夫『建白書』
のように繰り返し読むに足る名文が
数多くあるのですから
一度ならともかく、駄文を二度も読ませるのは失礼ですからね。

ところで、いまの小、中、高等学校の国語教科書、お子さんでもいれば見てみてください。
名文揃いどころか、迷文だらけと感じませんか?
斎藤孝の論調)

歌舞伎で有名な格言に「一声、二振り、三姿」とあって
「役者で一番大事、印象づけるのは発声、すなわち台詞であり
次が身振りつまり動作や姿勢であり、三番目にすぎないのが扮装や形姿である」という意。
富田常雄姿三四郎』の題名がこの格言に由来することは
案外知られていない。私も自分で書くまで知らなかったぐらい。HAHA。
いまは本部幹部会衛星中継ですが、
むかしはカセットテープを会場で聞く形式でした。
学会員なら賛同されるでしょうが、池田先生の主な魅力は「声」にあります。
ヴァルター・ベンヤミンも「歌手の個性はなにより声質にある」と言ってます。
「二」について。
去年の本幹(二月?)最後に学会歌の指揮を執られた先生を見て
目に焼き付かないはずはなかろう?
ちょうど昨日SGIグラフが来た。
この表紙を見て何を思う?

’80年の件の日付の新聞いまは手元にありませんが、クラスター分析研究を
実行した文部省統計数理研究所・研究員の談話で「龍ノ口の法難よりも、小松
原法難の方が文体上の転機になっている」とか書いてあったと記憶しますから
クラスター分析によると言って間違いでないと思います。
通常の教学でも「日本第一の法華経の行者」との文言は小松原以降に登場し、
母を蘇生させたのもこの直後です。宗教は生命の秘事に関わる不可解なもの。