猿は毛が三本足りない

創価大学図書館の「指針の銘板」
「読書は黄金の輝き」
「読書は勝利者の源泉」
「読書は生涯の伴侶」
「読書は偉人への道」
「良書を読め 悪書を叩け それが正義の人なり」
あたしなら
「読書・漁書は時間浪費の悦楽」
「読書は窓際=敗者の慰め」
「名著は生涯成長の試金石」
「偉人は惜しまれつつ死ぬべき時亡くなり偉人となる」
「良書を誉めるなら人の言ってないところを誉めないと誉めたことにならない、悪書を批判するにも同じことを二度いうのは卑怯」というところか。
やはり小人が実感をいうと名言ではなく、愚痴か独り言にしかならないですね。

「書(ふみ)よみて賢くなれと戦場のわが兄は錢を呉れたまひけり」(斎藤茂吉『赤光』)
更に「戦場の兄よりとどきし錢もちて泣き居たりけり涙おちつつ」
とあるので、兄上は亡くなったか。
昔の人は、本が高価だっただけに、読めば賢くなれるという効用を信じていたらしいです。
つまり読書家とは資産家のことだった。
いまや読まない本を売ることもせず、集めた本に死ぬまでに(または呆けるまでに)
一応でも目を通せる人は幸いというべきでしょう。

池田先生は蔵書6万冊を創価大学に寄贈なさいました。
晩年に学者等がよくすることではありますが、
読み切れないと見極めがついたからでしょう。