生まれ変わる主体の「中心的自我というものは

USAで黒人の権利が対等に認められるようになったのは’60年代の「公民権運動」
以降のことで、それでも選挙民登録に課税があるなどの方法で実質、
投票権WASPに限定同然の州も多くありました。そのころ渡米した作家・
安岡章太郎は南部のある州で、大地主の農園主に
「黒人でもハイスクールの校長になった者がいる」と聞いて思わず
「本当ですか」
「何なら呼んで見せようか」…
それは彼(農園主)が建てた私立校で、校長はもとは彼の使用人でした。
「黒人は投票権をのぞんでいないよな」
「Yes,われわれに投票権は有害です」…。
イスラム女性初のノーベル賞受賞」もアラブから見ればそのようなものかも知れません。
文化を「生活様式」と捉えれば、アパルトヘイトも男子家長制も文化。
「男女平等」もひとつの文化、達成されたことのない空理空論に過ぎない。
それに迎合して表彰されたShirin Ebadiがイランで尊敬されているとは私には
思えませんねえ。

USAの婦人参政権も日本より遅かったはずですが。
まあ日本の国土は女神が産んだものであるのに対し、あちらは
インディアンからland奪うのは男の仕事だったから、
当然のことですか。

三浦ツトムという左翼系の学者によると
「わたし」の「わ」
は腕を回して自分を指さす形だから、
一人称に「われ」「わが輩」など「わ」のつくものが多いのではないかという
のですが「学者は変なこと考える」。
このツトム君は「転生などと言う非科学的なことを信じているから
創価学会は迷信である」と的のないところに矢を射ていますが
戸田先生はすでに「生まれ変わりなんて仏法にはない…
このタバコが吸って短くなって『短く生まれ変わった』なんて言う人がいます
か」とおっしゃっられたものです。
夕べの灯、夜中の灯、暁の灯が「同一ではないが、継続している」という
ミリンダ王問経』の譬えを言い直したものでしょうか。
もちろんこの経の説くところは生まれ変わる主体の「中心的自我というものは
無い」なのです。

無宗教の追悼施設」と「言う」こと自体が「霊魂」の存在を前提にしている
のではないでしょうか。「業績」については東京裁判史観に立つ限り、評価で
きる論理もないでしょう。A級戦犯を合祀するかについても曖昧にしておきた
いらしく、すべての死没者を含むとは言ってもハッキリA級戦犯を含むと明言
しておかないのですから万一実現したとしてもチャイナが「最大の外交資産」
を放棄するとは考えられません。
いっそ日の丸が燃やされ君が代にブーイングが怒るなら国旗と国歌を新規に作
ればどうでしょう。

地球環境の改善を目指す動きは当然ながらモータースポーツ
世界にも影響が出てきてます。
バイクレースでは2ストークが主流であったのに、近年の排ガス問題の
影響で2ストークを廃止し4ストローク車両が主流になり始めています。
2002年からは2ストークと4ストローク車が混走してますが、
近い将来4ストローク車だけになるのは間違いないでしょう。
環境問題だけでなく4ストローク車が2ストローク車より
速いこともありがちになっており、各メーカーのトップライダー達は
ストローク車を使って結果を出しています。
レースはけっきょく消費者向け開発のためですから、
燃費の良い4サイクルに目が向くのは
環境問題がなくとも必然かも知れません。
つぎに来るのはロータリーエンジンか、燃料電池か?

食べ物が安全なら高くてもいいというのが消費者の心理と言うが、
米一升一万円でもいいか?10万円でも?
ロシアからの石油途絶の北朝鮮の立場に日本がならないとは断言できないでしょう。

「食品の安全の闇」とテレビに出ていて、うちの子がなぜ黒くつぶれそうな漢
字使うんだろうと言うので、
「ヤミ」といったら「不正売買の意味になっちゃうから」と教えてやりました。
*「闇の帝王」といったらマジンガー・シリーズの「暗黒大将軍」みたいだけど、
「ヤミの帝王」といったら今は廃れたヤミ米の売買の元締めみたいだもんね。
英語にも大文字にすると発音も意味も変わる単語があります。polishは「磨く」ですが、Polishは「ポーランドの」で、「ポウリッシュ」。発音が変わるから紛らわしくはないわけ。

レオナルド熊が不良少女の父親を演じて、「悪いかも知れないけどさ、タバコなんてものは子ども時分つい手にしているうちに憶えるんじゃないの」「そんなことありません、私吸ったのは20歳なってからです」「あんた二十歳にもなって、いい悪いがわからなかったの!」(絶句)
という一席がありました。私の父は早くにタバコをやめたらしく、
たいていのひとは高校卒業すると憶えるらしいですが私は高専でしたから
学内でタバコは吸えませんから、
20歳まですわなければ、吸う気にもならないかも知れず、
先年同窓会で吸う人は一人もいませんでした。
「二十歳までに憶えなければ、一生憶えない」というわけ。
同僚、親戚でも学校を卒業してからタバコを吸い始めたものはいても
二十歳を過ぎてから吸い始めたという人は居ませんでした。
吸わない人は、ずっと吸わないと思います。
例外として、好きな人にふられてタバコを始めたという人なら
何人か居ます。
よっぽどショックだったんでしょうね(笑)
宗教は牧口先生のように57歳で入信し病膏肓に入ることがあるんですね。

ただし明治、大正時代になんどか「日蓮ブーム」はあったようで
『人生地理学』の「半島」の項に「半島に大偉人出る例しあり、日蓮が如し」
「太陽」の項に「日輪に感発を受くる人多し、日蓮…」というように関心を持
っていたことはわかります。