国民投票法案の成立

動き出した車の向きを変えることはたやすい。’46年憲法はたとえていうなら、おんぼろバスで
アメリカ独立宣言(インディアンの民族浄化と裏腹)フランス人権宣言(革命の犠牲は第1次、2次大戦の死者を合わせたよりも多く、革命輸出でヨーロッパ各地を侵略した)、ワイマール憲法ヒトラーの台頭につながった)、ソ連憲法スターリン恐怖政治を主宰)など旧来の思想
が乗り合わせ、
エンジン(改革への意欲)は眠ったまま、
ブレーキ(改正起案にも衆参両院の2/3の賛同が必要)ばかりか、車輪止め(国民投票による承認手続きが法未整備)になっていて長年不法駐車していたが、
近年「冷戦終結」でようやく動かそうという機運が盛り上がってきた。
サヨク非武装中立という非現実的主張が世論に受け入れられないのは認めるが(本当に軍隊を持たないなら市民武装で国民全員が小銃の訓練ぐらいしないとマシンガン1部隊で日本国が乗っ取られることになるのではないか?)(「命を大事にする教育」といっていると自衛隊員は前線からみな逃げた方がいいということになるが)9条改正して現状を容認することも拒むが、憲法1条の「天皇」を廃止したいとは願っている。らしい。
いちど「平和」憲法の「平和を唱えれば平和」という平安朝時代からの妄想の呪縛を解けば「自分の国を守るのは自分しかない」(防衛に責任を持つ人を「市民」という)という常識も普及していくだろう。とリアリストは期待している。いちど「平和」憲法の「平和を唱えれば平和」という平安朝時代からの妄想の呪縛を解けば「自分の国を守るのは自分しかない」(防衛に責任を持つ人を「市民」という)という常識も普及していくだろう。とリアリストは期待している。