親鸞はプロテスタンティズムだが、創価・池田教は多念義

後鳥羽院がお気に入りの女官が尼になったことに怒ったのに端を発し四名の僧を斬首にし法然などが流罪となった念仏への第一次弾圧で高弟であっても偏執的勧進には加担していない親鸞が「死罪」と決まったのは公然と妻帯していたことが原因といわれる。院ももちろん出家の身だからとやかく言うのはおかしいのだが、不当な嫉妬は社会正義のかたちをとる(何が正義かを決めるのが権力)。周知のとおり親鸞減刑され越後に、法然は四国に流罪となり、それぞれの地で念仏の流布をすることになるのだがそれを仏法の流布と見るか世の中の厭世感をましたと見るかは立場次第である。ピクチャーは有名な法然流罪地にむかう途中、船で追いすがってきた遊女に「そなたの営みは罪深い、生計にほかの手段があれば止すがいい、どうしてもやめられないなら一心に念仏を日に一万二万、六万遍も唱えれば往生も叶うだろう」と諭す場面。(1時間5000遍として12時間)法然は聖道門をあながちに否定せずパトロンの貴族に授戒を行ったりメインパトロン九条兼実のために撰択集を著して与えた時に「他人に見せないように」頼み弟子のうちでも6人にしか筆写を許さなかったほどプラグマティズムだったし日蓮系の私は念仏は社会変革を否定するとおもうが、人が結束することは集団として力をもち一向一揆などあって、宗教勢力が政治の権力(何が正義かを決めるのが権力)から離れるのは信長・秀吉の時代をまたねばならなかった。弾圧は正しかったのか?日蓮系の人に聞いてみたい。

人間の営みに、にわかには善悪の区別のつけにくいものがある。それをプライベートと言う。(10年前には喫煙はプライベートであったが今やさながら社会悪)法然は念仏専念も人によりありうるつまりプライベートとして認めようとしたが既成仏教には仏教破壊としか思われなかった。親鸞にいたっては妻帯などというプライベートを超越して念仏は絶対の善でそれにより「救われない人から救われる」といっているニヒリズムの極みのように思う。
親鸞が死罪となっていれば浄土真宗はおそらくなかったろう。(歴史は細かに見ると偶然に支えられた部分がある。受験に関係ない世界史を【歴史の流れ】中心に猛スピードで履修してもおそらくちっとも面白くないだろう、未履修だった高3の皆さんご苦労様)念仏や妻帯で死罪というのは酷いようにも思えるが屍骸が京の街中でもざらに見るし、仏教の中心である比叡山も武力をもちもう一つの権勢三井寺と抗争するという殺伐とした世情によるものでもあろう。現代では死は病院やホスピスに隠され他人の死にざまはプライベートとして知られることも少ないが、念仏の源流は死にざまをよくすることであった。親鸞が乱世を超えた現代に多くの作家に小説化されているのもミーム理論ではないが「何を残すか」が晩年の幻滅をさけるため課題とならざるを得ないからだろう。