ブラジル独立記念日、建国の偉業になぞらえて自分を美化する無理

周恩来が「勝利の上潮」といったとすれば、それは武力闘争だろう。
あるいはマイナスの行為かも知れないが何にしても「権力構造を変える」力があるのは確かだ。
「人生を変える」のは自分にしかできないが、権力は個々の人生を押し流すことができる。周ら共産党のしたのはそれだろう。結果として「誇りをもてる国」が出来たというか、「支配が完成した」というか。
創価学会はせいぜい潜在的宗教メンバー予備軍を糾合したにすぎない。「折伏」とは営業活動であり具体的には「逃げ遅れたもの」を捕獲する探索行為にすぎない。
しかもその活動に占める役割は「励まし」だけで
声掛けで人が育てば苦労ない。
思うに人間革命とは自己肯定か
誰でも心の底では自分が正しいと思っている、実は俺も思っている、自分を国または
宗教に替えたら?
平和のために何をするか、支払うか?
社会変革には常識的には構想が必要だが、そのリスクを負えるのか?
軍事大国アメリカの保護領にあるものが「平和」を語る脳天気のなかで蔓延した「平和教」の一変型としか言いようがない。