「池田先生が死んだらわからん」

と思わず口に出ていた。
K副支部長が、20年後には非活動家になっているか、と言うから。
どうやらパスだったみたい。
来年9月には関西池田会館が完成し「池田先生の来阪が予想される」という。
釈迦も日蓮も多くの偉人も旅先で死んだことだし、関西で死ねば劇的だろう。
牧口先生の命日でもある11月18日ならさらに劇的だろうが、オウム真理教は’94年同日に名誉会長を毒ガス攻撃することを企てた時、そうした親切を志したことになる。「1月2日は旧暦で2月16日頃」「7月3日は4月28日」と傲慢なことを言っているとかよんだこともある。
「旧暦10月13日」ぐらいになることだろう。

さて聖教新聞『名字の言』(弓)「韓国で修学旅行で訪れた日本の高校生が『また侵略しにきたのか』『帰れ、帰れ』と日本語で言われた」という話が載っている。「異なる言語、異なる意見。人と人との間に横たわる溝−見解が違うと言って無視したり、やり合うことはたやすい。難しく、大切なことは、その溝を乗り越え、手をつなぐことだ」*やり合うこと(社会の秩序はそれによって保たれている)さえ困難で手をつなぐのは共通の敵でもないと不可能だろう*
2面『青木理事長の指導から』(7月1日東京・目黒総区壮年部の集い)
公明党委員長時代の昭和50年代に、京都の高級料亭で…竹入のやつは20数人もの一族を引き連れ、一人あたり7〜8万円もかけて、意地汚く飲み散らかし、食い散らかしていた。/そのうえ竹入本人の注文で芸妓も呼んでいたというから、一晩で200万以上は散財していた計算になる。大学卒の初任給が月10万円(昭和52年)の時代である」*法主を接待していたか、少なくともその見聞があるからではないのか*
2面・下の雑誌『潮』8月号の広告も興味深いが、略。