戦後世代は期待はずれだったのではないか

スーパーヒーローは概して知恵があり余るほどではないが、取り巻きはいつもいいことを言い、それを素直に受けてほぼ間違いをしない。結果的にヒーローは目標を達成し、手が届かないものはあまりないが、いつもヒロインが誘拐されたり怪人が犯罪を企んだりで安心は脅かされる。建国は私事でありそれに伴う戦闘はギャンブルである。安定した権力を確立すれば、ギャンブルを好む権力者がどこにあろう。しかし戦争は人を忙しくさせて権力の正統性に疑問をもつ時間を与えないので一時的には権力は安定するのもたしか。確かでないのは「勝つこと」だが、双方が「勝つ」と錯覚、あるいは「勝つのは容易でなくとも負けない」と「愛国心」を奮い立たせることで戦争は起こる、他には「戦争を防止するため」起こる。日本が「無条件降伏した」という人々は、天皇に触れない憲法前文が示唆するような「人民主権」に踏みこまなかったので悔しい、「君主」ではない「象徴」としての天皇さえ認めまいとする、昭和天皇の末期の自粛を「思い出したくもない」と言ったりする、(おそらく昭和を前1/3の失敗により評価したくないだろう)しかし人民性善説は正しいだろうか。「人権擁護法案」について3月?日の産経新聞社説では「人権擁護委員会の構成員に国籍の規定がない」と不安を見せていたが、土曜日(12日)の論説で長谷川三千子教授は人権の概念の発端はホッブスの『リヴァイアサン』にある「自然権」であるがトマス・ペインなどは「造物主に付与された人間本来の生得権」とする。その見解をアメリカ独立宣言もフランス革命議会の人権宣言もとっていて、日本の人権法案もそれに近いという。後者であれば富者が困窮者を援助するのは当然の義務(イスラム教では徹底している)ということになろうか。もちろん国は紙幣発行という無限の財源がある(本当は再配分する財産が増えるわけではないが)。後者は「困窮を放っておくと団結して反乱するのが正当」という社会主義的見地と言えよう。つまり暴力肯定につながりかねない。キング牧師が年々評価が高まるのも、その暴力を回避した運動で実質的成果をかち取り社会の分裂を和解に導いた(和解に近づけた)ことにあろう。1901年1月22日、ヴィクトリア女王が亡くなって、折しも夏目漱石が留学していたロンドンは悲しみに沈んだ。葬儀を見た漱石の句凩の吹き沈まって喪の車以前紹介した漱石の追悼句凩やあの世も風が吹きますかはこの句のもじりか?とすると天国ももう秋ですかお父さんの句も(まだ覚えていることからしても)そう悪くないのか?占領軍の「5大改革」の内では 5 教育改革これには「国語改革」も含まれ口語化は戦前から日本人自身に構想のあったことである。米国との戦争に乗り出すほど無知な民衆を教育することを目指した。HGウェルズの「東洋の教育は漢字収得に大部分の時間を費やす」という見解を踏まえて。(同じく敗戦国のドイツは教育制度に口出されるのは断固拒否した)性善説に立つ社会主義的政策が「主権在民」(いいかえれば「人民主権」)の美名のもと推し進められたが、少年犯罪は生活困窮の去ったあともなくならず、米国自身が「少年法」を廃止している。戦後日本の発展は(遊びで徹夜できれば仕事でも徹夜できるように)むしろ戦争の意欲を他に向けた戦中派の活躍によるもので戦後世代は期待はずれだったのではないか。

「『教団』はどんなに衰退しても消滅はしない」とは言うが、モーニング娘。辻希美の卒業などで人気急落という。この記事を見たAERAには就職面接の決め手は「目」だという話も乗っている