良い本だけ読もうというのは、おいしい物だけ食べようとするようなも


雑誌サイゾーで「平成」の元号創案者とされる右翼の理論指導者、安岡正篤が晩年に周辺の反対を押し切って細木数子と結婚したというのを読んで、ますます興味というか尊敬が増した。色恋に理屈は要らない。池田大作氏の著作を読んで知識人は軽蔑する。売れるのが偉いならハリポタの作者や渡辺淳一は大学者で『ソフィーの世界』の作者は大哲学者、秋山仁は大数学者、鳥山明あだち充宮崎駿は大教育家。「そういうことも、あるやも知れぬ!」(ゲーテファウスト』)と。さて。安岡は「必要な本が本屋の本棚の前に立つと浮かびあがって見える」といっている。同様のことを言う読書家は多い。しかし「大事なことは折々読み返しその本があることだけで安心だというような座右の書を持つこと」ともは言っていて俺に座右の書はポルノ以外あるかな。強いて言えば小学生時分に初めて読んだ『折伏教典』か。単純明快な論理。これが『人間革命』になると平和平和いうのが胡散臭いが、それでも今読み返して感性に合う古雑誌は昔(’60)のSFマガジンなど小説誌か、’70の週刊プレイボーイなど男性週刊誌’80の潮、第三文明など総合誌、’90ファミ通月刊アスキーの趣味誌といったところか。耳に快いことばかり聞いていると成長しないどころか堕落して自滅という論もあるが、感性に合う情報を受け入れるのは論理ではない。SFの黄金時代はローティーンという名言もあるが、たしかに生まれてから二番目か三番目に読んだERバローズ『火星のプリンセス』はアメリカ産随一の傑作だといまでも信じる。病院のテレビで、NHK7日午後2時45分ごろ長崎医大1年・茅野龍馬(?)氏が作った「核兵器の廃絶と平和の実現を目指すサークル」の紹介をしていた。微妙な防衛問題にダモクレスの剣の下とりくんでいる政治家より賢いと思う大学生も馬鹿なら、馬鹿を集めているのを見て意を強くして全国放送で紹介するNHKも馬鹿。