文化に優劣はないのでなかったでしょうか。

「対談相手は金目当て」と言えば、ダライラマが麻原晃光と会ったのも当然カネ
目当てでしょうが。

オウム真理教と言えば、「ああ言えば上祐」のような利発な奴がなんで麻原なん
か奉っているのかと
訝しいですが、「自分一人賢くて馬鹿な信徒を支配する楽しみ」と言うのがある
のかも知れません。
要するに権力欲。

上祐史浩の著作の「著者略歴」は入獄中の期間はスッパリ抜けていてまるで仙界
で修行ですが、
それにしても最高幹部である彼が、数々の殺人に全くの無関係で黙認もなかった
ということが
ありうるでしょうか。
村井実はどうみても彼が殺したのでしょう。
オウムが地下組織化するのを恐れた司直となんらかの密約で軽罪で済んだのでな
いでしょうか。

国立競技場の聖火台は大手が断る中、無名の釣鐘製造業者が採算を度外視して
釣鐘並みの50万円で引き受けたものだそうです。
逆三角形の特異なデザインに計算が狂って湯入れに鋳型が壊れ、68歳の社長は
その日から寝込んでそのまま瞑目しました。
息子が後をついで「競技場開き」間際に完成させましたが、
当時都内は都電が走っていて運ぶのも深夜、物干しで架電線を払いのけながらと
いう苦心もあったとか。
東京オリンピックが近づくと、以前は乗り気でなかった大手も宣伝効果に着目し

作り直しませんかなんていってきたが時の建設大臣、オリンピック委員の河野一
郎は
「一人の人が命をかけて造った物だ、そのままでいい」
と断を下しました。
それはそうと、靖国神社参拝慫慂も英霊を顕彰というより、その怨念を恐れてい
るように思うのですが。

公明新聞にはまたも不評きわまりない「無宗教の国立慰霊施設」の提案がされて
います。
どこに「外国人が参拝できるように」、国に殉じた勇士を祀る場所を設ける国が
あるでしょうか。
ちばてつや紫電改のタカ』で訪ねてきた故・戦友の妹が「兄は、どこにいるの
ですか」
と訊いて誰も下を向いて言い出せない場面で、
「お兄さんは護国の鬼となられました、靖国神社にいけばお会いになれます」
と書いたなら、ラストに特攻の援護といういやな任務を突きつけられたとき
「これは…漢字だ、僕は漢字は読めない…」と主人公がいう消極的抵抗
も含まれなかったら今頃絶版かもしれません。

靖国神社で会おう」と誓った戦友が昭和2、30年代ならともかく戦後60年
もしてから引っ越して呉れるでしょうか。
創価学会は「国家神道」というあいまいなだけに破折しがたい信仰が
国民コンセンサスに居座ることが許せない、とする排他的信仰者ですが、
排他的信仰を嫌う世間では「靖国神社参拝に反対するなら、公明党創価学会
完全に手を切れ」と見ているようです。
「信仰をするか、しないか」の二者択一を迫るのは実はカルトに共通した論理の
ようですが、
他人の信仰を攻撃するのは容易でも、自己の正しさを同義反復以外のしかたで論
証するのははるかに困難です。

いぜん創価学会は正月3日ぐらいの聖教新聞ではかならず初詣をけなしていたも
んだが、
このごろはそうでもないか。わたしは小泉首相に言いたい。そんなに靖国が好き
なら初詣と
まぎらわしく行こうなんて卑怯。伊勢神宮には公明党も文句がないようなんだか
ら。(完全にチャイナの尻馬?)
シンクレティズム(混淆主義)はそんなに後進的?

このごろの女は「家と家との結合」としての結婚などいやがりますから、
「個人同士」をコンセプトとするキリスト教式が過半数だそうですな。
公明党の主張するように夫婦別姓など実施されたとしたら、
結婚式場には最大で四つの苗字が並びそのどれを選ぶも任意ですか。
男女共同参画社会」推進キャンペーンでは別姓を認めるのが先進的というか、
現代の常識のように言いますが「姓が別で同居しているから夫婦とわかる」社会
もある、
文化に優劣はないのでなかったでしょうか。
別姓を強制するのでなかったら、いっそ「新姓」を義務づける方がマシです。

昭和30年代は漫画の地位が低かったから俗悪、荒唐無稽、ようするに子供だま

と見なされて「大学生が電車の中で漫画読んでる」と揶揄されたのだからエロ本
並み?
ええ大人の評論家は漫画など見向きもしなかった。
日本の純文学が反戦というより厭戦的であったのに対して、大衆文学は伝統的
に好戦的であった。少年漫画にもスポーツものの前には『大空の誓い』とか『ゼ
ロ戦はやと』と
か『忍者部隊月光』とか「子供に伝えたいこと」を描くと軍国主義肯定的といわ
れかねない
テーマでしか語れない。わたしも小・中学校の授業で教師がなんどか
講義そっちのけで戦争体験語ったのを聞いた記憶があります。
そういう話の方が身に付いているものですが、子供心には「勉強はどうなったか
な」と心配だった。
もちろん教師にはそれどころではない重要なことだった。もっと真剣に聞いてお
けばよかった。
(以下転載)
メルマガ■科学の散歩道「宇宙の年齢」より。
宇宙論は、かつての「桁が合えば良い」という大雑把な学問から、精密科学へ
と移行する途上にあり、
多くの突飛な宇宙モデルが淘汰され、一般相対論と素粒子論に基づく標準的な理
論が確立されつつある。
今後の課題は、宇宙エネルギーの大半を占めると推定されるダークマターとダー
クエネルギーの量や起源を明らかにすることだろう。
それが済めば、地平線の向こう側を含む全宇宙のトポロジーや、ビッグバン以前
のマザーユニバースの有無などについて解明しなければならない。
そこまで行くと、「われわれは宇宙をだいぶ理解できた」と胸を張って語れるだ
ろう。」
(注意!)近年、『アインシュタインは間違っていた』とか『ホーキング理論の
大ウソ』と題された現代物理学批判の著書が出版されていますが、その中には理
論的根拠を欠いた不適切な内容のものが多いので、気をつけてください。
←制作者(吉田伸夫)がいくつかの大学で行った科学・技術関連の 講義内容を
まとめたウェブページの注釈。
池田先生は英国のウィックラマシンゲなど「定常宇宙論」学者と対談され同調し
たようなことが多いが、
仏教の直感は「常に変動し発展し続ける宇宙」「生命と同様に、進歩もあれば堕
落も生も死もある」ではないか。
ありうる宇宙のうち、「自己の存在を自覚する知的生命を内包する宇宙だけが存
在すると言える」という仮説もあるようで。
小松左京は「もしも人類が滅亡までに他の知性体と出会うことが無くても、宇宙
に他の知性が存在するという示唆でもあれば
安心して滅亡できるのに」と言っています。そりゃ『レンズマン』の「アリシア
人」でないんだからいつかは滅びるだろう。
いい人が寿命で死ぬのは悲しいが、悪い奴もいつかは死んでくれるので五分五分