時の流れに磨かれたものは洗練されて見えます。

26151 : 憤り言動様(:)のご意見 (04/08/08/15:32:30)

オリンピックの聖火リレーは’36年ベルリン大会からはじまったそうで、ナチス国威発揚に利用されても「いいものはいい」と定着した訳ね。
ほとんどの宗教儀式は火を燃やします。火は生命力、あるいは闇を照らす叡智の象徴でしょうか。
仏教では「十方国土に偏在して、しかも同一」という仏性を表すこともあるようです。
『大法輪』昭和63年7月号、瀬戸内寂聴「伝燈の火」
伝教大師最澄は十九歳で比叡山に入山した。
三年後、自ら鑿をふるって一体の薬師佛を刻み本尊として安置、
さらに(石を打ちあわせて点し)燈明を捧げ不滅の信仰のシンボルとしようとした。
「阿耨藐多羅三藐菩提(あのくたらさんみゃくさんぼじ)の佛たち
 我立杣(わがたつそま)に冥加(めか)あらせ給へ」
「明らけく後の佛の御世までも
 光り伝へよ法のともしび」
灯籠というのは、本来「伝燈の火」を守るものだった。
(学会の本部幹部会でその1200年の「伝燈の火」が披露されたことがありました。
伝教大師まで遡れば「謗法」ではない、けどね)
(要約引用続く)
最澄の根本中堂に点した本燈は信長の叡山焼き討ちの時、失われた。
山形県立石寺(りゅうしゃくじ)に分燈してあったので、
それをまた比叡山に移して、今に伝えられているのだという。
立石寺とは、芭蕉が『奥の細道』で
「閑や岩にしみ入蝉の声」
と詠んだ寺で、村の名前を取って山寺とも呼ばれている。
慈覚大師開基と伝えられ、分燈しておいたことで最澄の志は守られたことになる。
瀬戸内寂聴岩手県天台寺へ普山し、この伝燈の分燈を頂戴した。運ぶには、
スウェーデンカンテラに燈し、万一のために二人の人が懐炉に移しておいて肌身離さず持つ。
檀家の人は1坪菜園で菜種を作り油を絞って法燈護持に参加する。
不夜城の道頓堀かいわいのネオンが省エネのアピールで30分だけ消されたそうです。
その節約される電気代二千数百万円といったかな?
さて曽野綾子も「宗教というものは他人のそれを見れば多かれ少なかれ婬祠邪教に見えるもの、
だからそれにあまりこだわらないほうがいい。」とは言うものの、(常識ですが)
時の流れに磨かれたものは洗練されて見えます。