戸田先生に雇われていたんだから師弟というより主従だろ

創価新報の座談会で矢島理事長がのちに「坊主になった」と書いてある、なぜ「僧侶」と言えないのか。正信会に入ったならなおのこと「日顕の血脈相承は怪しい」と先駆してくれた恩人ではないか。まあSPほど外部の目にふれないだけ下品にして、下品な購読者を楽しませるのか。
SP『人間世紀の光・第184回』に、こないだの本幹でも言っていたが「歴史上、類例がないくらい、死に物狂いで師匠を護って護って護り抜いた」とある。気が狂っているようだが、「私は日興上人を超える存在である」と言いたいのかもしれない。つまり「私に仕えない坊主はみな悪い」と。
主従関係にあったことも「給料もなかった」とぼやかして、戸田先生の下であったことも認めたくないようだ。