チャーチルのノーベル賞受賞に触れないのは嫉妬か?

第1回はチャーチル
海軍大臣として軍艦の「石油化」をすすめ、第1次大戦中「戦車」の開発にも関係した。
ロンドン空爆のさ中、国民を励まし続けた演説は絶品であったが、終戦間近い選挙で敗退し「功労者への忘恩は民主主義の証」と退陣せざるを得なかった。
第二次大戦後、核の脅威は「相互のもの」でなくてははならないことを見通し、『鉄のカーテン』演説でソ連の異様な「平和攻勢」への対処を予測した。
『第二次大戦回顧録』でノーベル文学賞を受けた。
’63米国でケネディ大統領から「名誉市民第1号」を受けた(いずれも池田には無い栄誉ではある)