広宣流布を目指さない人生はなんと幸福だろう

若者は「夢を持て」とよくいわれる。あるほうがないより良いとして。
創価学会は大衆を布教対象としていて、それまで夢をもたない階層に
夢として「広宣流布」が与えられるが、それで人生の晩年に幻滅が待ってはしないか?
幻滅はいずれにしてもあるかもしれないが、他人を巻き込んでの共同幻想だと悲惨なことになりかねない。
五十を過ぎて体力が衰えると長時間の唱題が体力を削るのではないか。
純真な活動家が短命な例は多い。