法華経の心は菩薩行の実践による永遠の生命の感得

創価SGI 勤行で自我喝で寿量品の内容がすべて含まれているとしたのも、成立の歴史的経緯から韻文のほうが古いと知ってのことか。すでに仏教哲学大辞典第3版の「法華経」には「大乗経典の一つ、経典としては1世紀頃編纂」とし【釈迦牟尼】の項はダラダラと書いてからほんらい最初に書くべき生年を諸説ありとしていずれにしても数百年のあいだ法華経が口伝されていたという無茶な見解が暗示されている。「日蓮大聖人といえども大陸で現地調査したわけではない」と言うのは矢野氏の「池田先生といえども政治には素人」という反逆の弁とどこが違うか?