ゴジラの存在感、『人間革命』のリアリティー

ゴジラが水爆実験核開発を東西両陣営が繰り広げる時代背景から「核戦争の脅威」の具現化で存在感を獲得した(佐藤健志『大和とヤマトと僕らの民主主義』)とすれば、戸田先生の朝鮮戦争の戦火を眼前にした会長就任式の講演にも「一日も早く広宣流布をしなければならない」との切迫感はある。
池田時代(初期)の気迫は「若い者に委せろ」との戦前からの世代を追放したいという突き上げでなかったか。

上も上なら下も下なのか?
公明新聞投書欄には矢野絢也氏の瓢箪山の「昭和48年、70坪、鉄筋3階建て」の自宅についてガッカイ員が不審なのは「正本堂の御供養で丸裸になったものが多いのに」との思いだろうか。(ちなみに貧乏子沢山な我が家でも100万円以上は、した、その功徳に「株で損したことはない」を父は言う)
「邪推されない」ことがプライヴァシーというものだが