「悪書の毒に冒される」と言うのは『知恵と知識の混同』ではないのか

すでに竹内好終戦直後『電車の中で新しい雑誌が手に入らないのか戦中の雑誌を見ている青年がいる、危ういかな、だ』という論説に対して「戦中の雑誌は私も興味がある、批判的に読んでいないとどうして言えよう」と批判している。
聖教新聞が「一部の売文ジャーナリズム」を【悪書は許せない】=「読むな」というのは、やはり言論統制の願望があるとしか見られないのではないか。まして権力を背景に「人権擁護法案」で報道機関に圧迫を加えようとするに及んで哉。