“We preyed in scool today”(『ピーナッツ』より)

'60年代に賛否両論を巻きおこしたと言うことは、「学校での礼拝は違憲」とする人がすでにアメリカにもいたのか?「礼拝が強制されなくとも参加しないのを恥ずかしく思わせるだけで充分圧力となる」。

びっくりハウスに『お供えあれば、ユーレイ無し』という作品があった。
これを『お供えあれば(戸田・牧口の)幽霊無し』と書き改めればどうか?
いつも「戸田先生は…」「牧口先生は…」と言っているお陰で、
「両先生のやり方と違う」といわれない。
ほんとうに大石寺と離れ、御本尊を作るのを許したか、
「いずれは方便品半分と自我ゲの勤行にしていい、時期は任せる」と言ったか。
戸田先生が信徒は僧侶と平等と思っていたか、勢いと論理的帰結として
日蓮本仏論」が否定されることになるので無かろうか。

もうじき(*12月2日のことだった)聖教新聞に奈良で101歳の人がした弘教の体験が載るそうな。
40年前に甥に「信心すればお前の子のゼンソクも治るのに」と折伏したが、甥は受けつけなかったが、50過ぎたその子が父の叔父がまだ生きていたことに感激し入会の運びとなったとか。
ほかに100歳の人の体験とダブルで。
俺も入信40余年だが、創価学会で「池田先生は絶対」いがいで40年前と変わらない物があるか?