「命の大事さを教える教育」とは復讐の否定か?

semaさんの質問
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内容: 「 あなたの「アンチ」を理由付で教えてください。
できれば、「愛のあるアンチ」を熱っぽく語ってくれればうれしいです。
対象は企業、人物、物体、なんでもかまいません。
例:「最近のソニーには製品への愛が感じられないのでアンチ」
交通機関はアンチ高速バス。もっと乗客へのサービスを増やすべきだ」
「肉じゃがは豚肉を使ってこそあの味が出る。アンチ牛肉仕様肉じゃが」

回答
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4896914945/customer-reviews
「アンチ人権。
以前から「人権派」と称する人々は偽善的だと思っていましたが、近頃は行き過ぎて「人権侵害」にさえ及んでいます。
そもそも権利を主張するとは他人の権利を侵害することで、たとえば他人のタバコの煙を吸わない権利=受動喫煙防止の主張は喫煙する権利を制限し、犯罪実行者を匿名にし「容疑者」と敬称まがいとつけて呼ぶことは被害者も含めた国民の「知る権利」を無視し、北朝鮮に宥和政策をとることは金正日の人権を守って拉致被害者の人権を侵害しています。
フランス革命ロシア革命のように貴族が生産余剰を独占し、不適当に浪費して健全な投資=再生産が行われていない時には体制をひっくり返して是正する、つまり独占されている「権利」を再分配することもあるいは有意義でしょうが、アフリカの飢餓、紛争など地球規模問題群をさておいて現代日本で人権を言うのは「大事なことが何か分からない」幼稚さで政治的意図、弁護士の金儲けの疑いがあります。
私は三菱銀行事件の梅川昭美に猟銃所持が許可されたこと、池田小事件をまでに何度も逮捕された宅間守精神障害者で罪を認めているという訳の分からない理由でその都度釈放されていること、(有犯罪歴)精神障害者予防拘禁
実施されないことは「殺す権利」の保護で殺されない権利を侵害していると思うのです。
他人の権利を侵害しない真の自由とは心の中で何を信じていようと自由という「内心の自由」しかないでしょうが、それを大規模に実現したのがナチスドイツ、ソ連、中国などに見られた
強制収容所なのは「人権の世紀」である20世紀が「強制収容所の世紀」となったという歴史の皮肉でないでしょうか。

http://www.ndl.go.jp/constitution/
「ついでに、アンチ「平和」憲法
明治憲法が不備であったため太平洋戦争になったなどというのは占領軍の自己正当化宣伝に怨軍・厭戦意識が結びついてうまれた伝説にすぎません。第1次大戦後、「世界でもっとも民主的な」ワイマール憲法を持ち、王制を廃止し「空軍は持ってはならない」などの厳しい軍備制限をされたドイツでも約30年後には再び全面戦争に乗り出したではありませんか。
どんな憲法でも国民の意思が戦争をやるのに熟した時には戦争をするのです。
あえていえば戦後日本には押しつけましたが、米国では完全実施されていなかった「男女平等」の選挙権が1940年にあったらルーズベルトは婦人票を恐れて日本を戦争にまで追い込まなかったかもしれません。「平和憲法」が必要な国があるならアメリカでしょう。
それにしても、天皇を「その名で開戦が行われた」として否定する日本共産党はなぜ昭和天皇の名で発布された現憲法を守れなどと言うのでしょう。 」
10ポイント コメント:「・・・・・すんません。脳がオーバーヒートしてしまいました。」